高校数学の勉強法-河見賢司のサイト

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プロフィール

生年月日:1979年12月24日

生まれ:兵庫県神戸市

育ち:兵庫県和田山町

趣味:自転車、読書

出身大学:筑波大学第一学群自然学類

この職業を選んだ訳

こんにちは、河見賢司と申します。生年月日は1979年の12月24日です。現在30歳です。


僕は、生まれは兵庫県の神戸市、でも小学校の途中から兵庫県の山の中に引っ越しました。


小さい頃から勉強ができず、小学校の時の成績は5段階でほとんどが2、得意?科目が3。ちなみに5はおろか、4すら本当に一度もとったことがない・・・ちなみに1は何度かとったことがあります。


勉強ができなかったらせめて運動か音楽でもできたよかったんですけど、何もかもバツで、絵も致命的に下手だった・・・


中学校のときはある程度ましになったんですけど、それでもまあ勉強ができるってことはありませんでした。


高校に入学してからも、勉強をまじめにするわけでなく、部活にも入ってなかったし、まあ目的も持たずふらふらしていました。


こんな中途半端な僕だったけど実は行きたい大学があったのですよ。そこは「気象大学校」というところ。小さい頃から、なぜか気象が好きで、高校になってからその大学の存在を知って、一度挑戦してみたいと・・・小さい頃から何もまじめにしたことのない僕がはじめてやってみたいと思ったことでした。


でも、気象大学校はむちゃくちゃ難しい。代々木ゼミナールのランキングで見てみたら偏差値は65、ちょうど東大の理1と同じだった。実際東大ほど難しいかどうかは分からないですけど、それでも僕にとっては受験したいと言うことさえおこがましいほどのレベルでした。


気象大学校は受験者数は700人くらいなのに、合格者数は60人くらい。しかも、合格したからといって大学に入学できるわけじゃなく、合格者はだいたいの辞退者がこれくらいでるといって余分に取っているみたいで、もし入学希望者が定員を上回れば、成績上位者から入学を許可していき、定員に達し次第、打ち切る。だから合格していても入学できないこともある。


こんなんだから実はあきらめていました。だから高校時代の勉強は適当で当然成績も悪かったです。気象大学校はおろか大学進学さえ、本当に簡単な大学しか進学できないそんな状態でした。


気象大学校の受験時期は10月終わりか11月終わり、高校3年生のとき一応受験してみたけど、案の定何もできなく玉砕。


でも、玉砕してみて逆に火がついた。自分では到底かなわないかもしれないけど、これまでの何もない生活にストップをかけてみたくて挑戦しようと自分勝手に決意した。


そして父親にこのことを伝えた。


僕:「父さん、僕浪人したいんやけど?」
父:「アホか。そんなもん行けるわけないやろ。ホンマに行きたいんやったら、現役のときに大学一つでも合格してから言うてみ」


そう一喝されました。けど大学に合格したなら浪人を許してくれるんだなということでそこから僕の勉強が始まりました。


その話をしたのは高校3年生の11月ころ。当時の僕は英語が偏差値60くらい、数学が50くらい、物理、化学はまったくの0の状態。というか本当に0の状態で、10月か11月に実施される最後の模擬試験で物理0点、化学5点でした・・・嘘じゃなくて本当です。


高校3年生の11月から勉強を始め(←遅いよ)、なんとか現役でけっこう難しい偏差値が55位の中堅の地元の公立大学と、あと地方の国立大学にも合格しました。前期試験で金沢大学に落ちたので、受かった大学は中期日程と後期日程です。


合格した大学は秋の僕から考えれば合格したことが奇跡のような大学です。模擬試験の判定は当然いつもE判定。しかもD判定とはるかはなれたE判定。


合格した秘訣は今後話していきますが、単純に言えば出題される(出題されやすい)ところのみを効率よく勉強した。それだけです。


現役で中堅の国公立大学に合格したものの、僕の学力は全然でした。特に物理は話にならないレベルです。現役の時は、受験する大学の過去問を見て、ひたすら出る単元だけを勉強しました。他の単元の知識はまったくのゼロです。


物理は、原子物理や熱力学からは過去問では扱われていなかったのでまったく勉強しませんでした。ですから物理では、原子物理や熱力学って何?そんな状態でした。冗談抜きに原子物理って原始物理と勘違いして「ああ昔の物理なんやな」そう思っている、そんな状態でした。


気象大学校の受験日は10月終わりか11月始め、1年浪人したとしても半年しかありません。頭の悪い僕が半年で東大レベルまでいけるわけもなく、浪人した当初から2年浪人することに親には内緒ですが、自分勝手に決めていました。


浪人は予備校に行かず自宅での浪人、いわゆる宅浪です。


宅浪を選んだ訳は、僕は小さい頃から人に言われたとおりやることが嫌いでした。別に自分勝手というわけではなくて、先生に言われたことをそのままするのではなく、自分の思いついたやり方でやってみたい、そういった思いが強かったです。


まわりに迷惑をかけるとかそういった訳ではなく、ただ言われた以外のやり方もあるはず、それを試させてほしいといつも思っていました。自分の力だけでがんばってみよう。そう強く思い宅浪することを選びました。(←後にこの考えは、思いあがった独りよがりなものであると理解するようになりましたが、当時の僕にとっては、少なくともそう感じていました)


1浪時は当初の予定通り?気象大学校は玉砕。2浪時にやっと気象大学校の1次試験をクリア。そして面接等の2次試験も合格して最終合格に。でも、残念なことに入学希望者が達したため、僕の気象大学校への進学はなりませんでした。


当時の気象大学校は700人中最終合格者は70人くらい。僕は、少なくとも全受験者の中で上位10パーセントに入れたのです。それがすごい嬉しかったです。


実は、気象大学校の2次試験、面接を受けた時にわかったのです。まわりの人たちと僕があまりにもレベルが違うことを。僕は2年浪人してまで必至に頑張った。でも、まわりにいる人は、あまり頑張っていない、というかいたって普通にそこらにいる。


ここに僕がいてはダメだ。そう強く思えた。僕は気象大学校に本当に行きたくて一生懸命がんばった。でも、もし入学できたとして、この人たちと一緒に勉強していくのは絶
対に無理だ、そう思った。


面接も受かって最終合格が決まったときは本当に嬉しかった、でも同時に入学できたとしても、僕の頭じゃそこにいっても無駄だろう、そう強く思っていました。


ちょうど何かの間違いでプロ野球のドラフトにかかってしまい、入団した直後にまわりのレベルと自分との差に驚いて愕然とする、そういった感じだと思います。


気象大学校に行けなかったので、僕は結局筑波大学に進学した。気象が勉強したかったので、気象大学校以外で気象が学べるところは東大、京大、筑波くらいだったので、東大、京大は難しそうなので筑波にした。


ちなみに筑波大学の受験科目は英語、数学、物理、化学なんですけど、気象大学校の受験科目は英語、数学、物理、一般教養なので化学は一切勉強していません。センター試験では30点くらい、2次試験の化学はほとんど白紙、たぶん0点です。唯一埋めたところがマークで、そこもまったく分からないので、適当に書いておきました。筑波大学は、まあそれほど難関というわけではないですけど、結構難しい部類の大学です。その大学に4科目の受験科目のうち、1科目が0点で合格するんです。と考えれば気象大学校はやっぱり超難関。僕なんかがいけるような大学じゃなかったんだなと強く思います


浪人生活はしんどかったですけど、これまで何をやっても否定されていた、少しでも違ったことをすると「そんなことをしてたらお前はダメになる」そればっかり言われていた。


でも、そうじゃない。自分なりに考えて努力したら、それなりに結果がついてくる。気象大学校に合格する人たちは、偏差値から言えば全人口の上位1パーセントに満たないような集団です。


たとえ入学できなかったとしても、小さい頃から落ちこぼれのレッテルを貼られていた僕が苦手な勉強でそこまでたどりつけたということが心から嬉しかったです。


僕の将来がすべて開けた、そう感じた。


僕は、浪人してみて「どんなことでも頑張っていればうまくいく」ということを感じることができた。


このことを本気で思っています。まわりからバカにされるけど、そのことをあなたにも感じて欲しいと思い、僕の人生を変えてくれた大学受験というものに携わることを決めました。


僕は、浪人生活をして「勉強法」というものを実感することができた。これだけが僕の財産です。それを広めていきたいと思っています。


よろしくお願いします。


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